文化と歴史

木曽川の流れと時の流れ。この二つの流れの中で、今も生き続けている伝統と文化があります。
木曽川の流れが形作った様々な奇岩怪石からなる、名勝日本ライン。それに沿って延びる日本ラインロマンチック街道は専用歩道として多くの方に遊歩道として親しまれています。近年こうした風景を一望できる、猿(さるばみ)城展望台が整備され、遠方からも多くの方が来ています。時の流れの中で、親から子へ、そしてその子どもたちへと受け継がれてきた文化と歴史。そこにはこの地が育んできた人々の心があります。

深萱(ふかがや)農村舞台では、かつて農村歌舞伎が上演されていました。それは、昔の人々が楽しみにしていた娯楽。様々な舞台装置は農村文化の熟成を今に示してくれます。毎年4月に子どもたちの子踊りが披露されていますが、この舞台が坂祝の芸能文化の象徴となっています。

また、坂祝に古くから人が住んでいたことを示す火塚古墳、天正3年(1575年)に廃城となるまで戦国武将たちの夢と悲劇を生む舞台となった猿(さるばみ)城址、中山道を通る旅人が道中の安全を祈った岩屋観音、明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の断行で、 加茂郡東白川村から村人に背負われて坂祝へ運ばれて来た西国三十三所観世音菩薩など、あちらこちらに町の歴史が多く存在しています。

これらの中に当時の人々の心を見ることができるのです。伝統も文化も時間の贈り物。積み重ねられた人々の思いが見つけられます。

年表

重要文化財

坂祝町の文化財マップ

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