猿啄城跡について
町指定文化財
築城年代は諸説があって確かなことは記せませんが、関市の龍泰寺文書にその開祖となった無極和尚が「応永14年(1407年)猿啄城主を訪れた」とあるのが諸説の中では最古です。戦国時代、西村、田原、多治見と城主の交代が激しかったのですが、永禄8年(1565年)8月織田信長の中濃攻略により落城しました。城主は信長の家臣、河尻肥前守鎮吉がなりましたが、城はやがて廃城になりました。
今は僅かに石垣が残るだけで当時の様子はわかりません。
時代
室町時代あたり
所在地
坂祝町勝山934番地の1
坂祝町の文化財マップ
「猿啄城跡」は12にあります。
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